目次


第2章 ラウルと小竜 村へ行く

4 ボードガード竜舎

 
 ボードガード竜舎はくらがり森側、キルセン村を囲う柵から敷地が半分飛び出るようにしてあった。
 平屋の竜舎が村側にあり、森側には飛竜が降り立ち、あるいは飛び立てるように広場がある。
 木の柵を過ぎて土が剥き出した道を歩く間にも、空から二頭の飛竜が円を描きながら竜舎の向こうの広場へ降りていく。
 背に乗っている、あの濃い緑の制服は飛竜養育官だ。
 竜舎で働く者達はその誇りを示すように同じ制服を纏い、その中で飛竜養育官は特に襟周りや胸元に燕脂の線が入った深緑だった。
 ラウルは竜舎の正面入り口に立った。両開きの引き戸は開け放たれている。
 竜舎は活気に満ち、戸口からは従業員達の交わす声や飛竜の嘶き、金具の当たる音などが流れ出している。
 ラウルは足取りが軽くなったのを感じながら、入り口横の受付に声をかけた。
「こんにちは!」
「あいよいらっしゃい! ってああ、ラウルさん」
 朗らかに迎えてくれたのは、エマ・ボードガード。この竜舎のおかみだ。
 全体的にふっくらとした体型で、黒髪黒目がまた人の良さそうな雰囲気を出している。ラウルは肩の力を抜いた。
 エマは皺の浮いた目元を温かく細めた。
「いつも沓やら鎧やら、ありがとねぇ。あんたさんの作る道具は使い勝手がいいよ」
「いやぁ、そう言ってもらえると」
 剣でなければ評判がいいのだ。
「今日は何か持ってきてくれたのかい」
 注文の品は一昨日だったか、エーリックが届けてくれている。
「違うんだけど、おかみさん、親方にちょっと相談したくって。今いる?」
「ああ、そうなの。待ってな」
 エマは奥を向いて、おおい、と良く通る声を張り上げた。
「あんた! ラウルさんが用だってさ!」
 竜舎は十一間(約33m)四方の広い平屋を、飛竜を育てる柵で複数に仕切っている。
 一番奥はラウルが今立っている戸口よりも広い両開きの引き戸がある。開け放たれたそこから陽光がいっぱいに差し込み、舎内で立ち働く十数人の姿を影絵のように見せていた。
 その中の一つがエマの声に振り返り、柵の間を抜けて来る。大柄だから親方のボードガードだとすぐにわかる。
 それぞれ柵の中にはまだ幼い飛竜や、そろそろ人を乗せられるくらいまで育った飛竜の姿があり、ボードガードが通りかかると鼻先を撫でてもらおうと柵の上に出した。
(何度見ても、飛竜は可愛いなぁ)
 飛竜達の様子にも釣られ、ラウルは竜舎の中に入り、歩いてくるボードガードへと数歩、近付いた。
 その時だ。
 背中の籠の中で、オルビーィスが身を起こしたのがわかった。
「ぴぃ!」
 途端に、それまで大人しかった飛竜達がそこここで翼を広げ、首を伸ばし、嘶きを上げた。
 驚いた養育官達が手を伸ばしたり柵に入ったりして騒ぐ飛竜を宥めている。
「しまった」
 ラウルは慌てて後退り、竜舎の外に出た。
「ぴい!」
 なんかいる! とでも言いたげだ。
「オル」
「お前さん、何連れてんだ?」
 渋く響きの良い声が背中にかかる。
 振り返るともう、ボードガードが戸口まで来ていた。
「親方、すみません!」
「いや――」
 アーセン・ボードガード。キルセン村の誇りである竜舎の主だ。
 十歳で飛竜養育官を志し、十八歳でこのキルセン村に竜舎を開いてから、あと二年ほどで三十年になる。
 身長は六尺二寸(約186cm)を超え、広い肩幅と厚い胸板、筋骨隆々とした腕と脚。焦茶の髪を角刈りにし顔半分は髭で覆われている。強面だが髪と同じ焦茶色の目は穏やかだ。
「ちょっとこっち来て、籠の中見せてみろ」
 そう言うとラウルの肩に腕をかけ、有無を言わさずぐいぐいと敷地の、竜舎から離れた場所へとラウルを連れて行った。
 改めて向き合い、焦茶の瞳でじいっとラウルを見る。
「お前さん、昨日の捕物に関わったらしいな」
 やっぱり知っているのか、と思う間もなく、続くボードガードの言葉にラウルは首をすくめた。
「うちにも話が来たが、なんでも白い鱗の飛竜がいたって言うじゃねぇか」
 オルビーィスの姿を兵に見られていたのだ。それか、あの密猟者達が取り調べで話したか。
 ラウルははっとした。
 取り調べで当然、軍に情報は入るのだ。ラウルのところにも兵が聞きに来るかもしれない。
 オルビーィスがラウルのところにいるのが見つかったら――?
 飛竜と言って誤魔化せるだろうか。
「どこかへ飛んでったらしいが、お前さん、知ってるか?」
 ボードガードの目が鋭い。ラウルの不安を見透かすようだ。
「あ、いや、その」
「その背中に、何を入れてんだ、ラウルよ」
 驚かさないよう、そして誤解を与えないようまず状況をしっかり説明してからと考えていたが、諦めてラウルは背中の籠を地面に下ろした。
「森で、拾ったんです。一昨日。それで親方に相談したくて」
 蓋を開け、ボードガードが籠の中を覗き込む。
 青い瞳がぱちりと瞬き、自分を見下ろすいかつい男を不思議そうに見上げた。
 白い鱗の子竜を見て、ボードガードはただでさえ幅広の口をあんぐりと開け、うおう、と唸った。
「竜だ」
 やっぱりそうなのか、と。
 ボードガードがはっきり竜と断言したことに、覚悟していたはずが息を呑んでしまった。
「まあまあ予想はしてたが、こりゃ……いやはや」
 飛竜達が騒ぐ訳だわな、と呟いている。
「親方、その」
「元いたところに返しな」
 もう一度、これもぴしりと告げる。
 それから口調が和らいだ。
「飼育が認められてんのは飛竜だけだしなぁ。お前さんにとって一番いいのは、これから元いたとこに行って、こいつを置いて来ることだ」
「けど親方、この子は卵のまま川に流されてたんです」
 ラウルはひとしきり、オルビーィスを拾った時の状況を説明した。
 ボードガードは黙って聞いてくれている。
 全て説明し終えると、ボードガードは「なるほどなぁ」と太い腕を組んだ。
 片方の手で頬の髭をさする。
「まあ、ラウル、さっきも言ったように、元いたところに返すのが一番だよ。ただ」
 ボードガードはラウルの言いたいことを先回りした。
「今んとこ、お前さんのとこに戻ってくる可能性が高いんだな?」
「餌を」
 良くない行為だったか、と、ラウルは両手を握りしめた。
「あげてしまったんで……多分それで」
「まぁなぁ。飛竜だと思ってたろうし、腹すかせてりゃ何とかしてやりたくなるだろうよ。そりゃお前さんが悪いわけじゃねぇ」
 ボードガードは組んでいた腕を解き、ラウルの背をばしんと叩いた。
「よし、まずはどうするか考えるぞ!」
 やや咽せつつ、ラウルはボードガードを斜めに見上げた。
「あ――ありがとうございます、親方!」
 心底安心できて、心底有難い。
 ボードガードは首を傾けた。
「お前さん、何か考えてることがあるか?」
「ええと――」
 ラウルは籠の中に視線を落とした。
「親元に戻せればと、思ってます」
「それがいいなぁ」
 オルビーィスは大人しく籠の底で丸まり、空色の瞳をラウルへ向けている。その目がとても愛らしい。
 ボードガードが初めに言ったように、まだ幼いこの子竜を元いたところにただ返すというのは忍びない。
「あの、せめて、もうちょっとの間、世話はしようかと……幸い、うちの周りに他の人は住んでないですし。この子は、言い聞かせればわかるみたいだし、おとなしいんです」
 ぴぃ!
 とオルビーィスが元気に応える。
 ボードガードは目を細め少し笑った。「愛着湧くなあ」
 だが、と首を振る。
「お前さんも大体知識はあるだろうが、竜は人に懐くもんじゃねぇし、大概気性が荒い。今は大人しくてもふとした瞬間に人間が――お前が餌に見えるかもしれねぇ」
 わかりやすく例えれば、と。
「熊を育てられるかって話だな」
「――」
 それは、怖い。
「竜は熊なんて餌だぞ」
 ラウルが迷う様子を見て、ボードガードはラウルの背を、今度は軽く叩いた。
「悪ぃ悪ぃ、あんま脅すつもりはねぇんだがなぁ。けど早いとこ対処しねえとならんのも実際だ。村人や領事館に知られたらえれぇ騒ぎになる」
 焦茶色の目がラウルの目を捉える。
「お前さんも、それじゃ一層まずいだろ」
「――俺のことは、まあ、今更です」
 ボードガードは頬髭をさすり、首を僅かに傾けた。
「親元に返すのに、親方に、力を貸してもらえないかと思って。竜の巣を知りませんか」
「巣か」
 ボードガードが唸る。
「まあ、そうだな。心当たりがなくもない」
 ボードガードの視線を追って振り返ったラウルは、雲を纏って聳えるきりふり山のいただきを見た。
 やはり。
「きりふり山の、主ですか」
「だと思うな。目で確かめた訳じゃないが、飛竜の巣があの山を避けてる。こいつがきりよせ川に流れたんなら尚更なぁ」
「じゃあ、きりふり山に、登って」
『竜の巣に行くなんてご主人にゃむりだぜー』
 剽軽な声がラウルの腰から上がった。
「わあ!」
 ラウルは飛び上がった。
 すっかりヴァースの存在を忘れていた。まずい。
「何だ、誰だ?」
 ボードガードがきょろきょろと辺りを見回している。
 ラウルはさっと剣の柄元を押さえた。
「いえ、不安による俺の裏声」
 それでもくぐもった声が手の下から流れる。
『おれ様はヴァース! ご主人が打った名剣宝剣国宝剣だ−! よろしくなー!』
「いえ、不安による俺の裏声」
 ボードガードの視線はラウルの腰にくくった剣にしっかり落ちている。
「……それ、何だ」
「へえ? 何のことで」
『おれ様はヴァース! ご主人が打った名剣宝剣国宝剣だ−! よろしくなー!』
「ヴァース! 頼んだだろ!」









次へ



2023.2.12
当サイト内の文章・画像の無断転載・使用を禁止します。